刺身などを盛り付ける船盛りの器を人からもらった。うれしい。
そこに盛り付けるだけで否応なく出てくる豪華な感じ。うれしくって仕方がないので、一週間の夕食を船盛りにして食べてみました。
(text by 小野 法師丸)
とある木曜日:まずはベーシックに
刺身と言えばちょっとしたごちそうでもあるが、その豪華さにさらなる拍車をかけるのが船盛り。飲み会で船盛りが登場すると、拍手をし出す人さえいるだろう。
よくわからないままにうれしい船盛り。器が船の形をしているだけでそんなにうれしいか、と問われたならばちゃんと説明はできない。でも船盛りと聞くと、「船盛り!?」となる自分が確かにいる。
今回、そんな船盛りの器を人からいただいた。まずは基本に忠実な形で試してみようか。
やっぱりなんだか豪華に見える。さらには「家なのに船盛り」というスペシャル感もうれしい気持ちを盛り上げるのだろう。
金曜日:地味なおかずもどんぶらこ
翌日の夕食は打って変わって地味な感じ。
普通においしそうで内容に不満はないのだが、見た目の印象としてこれといった訴えるものがないのは否めない。こういうときにこそ船盛りでバージョンアップだ。
肉のソテー・トマト・ごぼうの卵とじ・むかご御飯。茶色を主体とした何気ない夕食だが、船に盛り付けられているだけでうれしさが微妙にアップ。大人のおこさまランチとも言えるかもしれない。
土曜日:海からやってきた麻婆豆腐
この日の夕食は麻婆豆腐とシソ餃子。もちろん船盛りだ。
やはり船盛りとは、新鮮な海の幸を乗せてこそというものだろうか。…いや、今さら何をそんな最初からわかりきったことを言っているのか。とれたての麻婆豆腐、そう思い込めば済む話ではないか。
日曜日:野菜たっぷり船盛り旅情
続いては日曜日、休日の夕食は簡単に済まそうということで、ラーメンと相成った。
居酒屋でこんな風にラーメンが出てきたら明らかに悪ふざけだが、家でやってみると意外となじむ。野菜・お肉・麺と、船盛りのくせに栄養バランスも整っているのも妙な感じだ。
月曜日:ついに登場した禁じ手の船盛り
また新しく始まった一週間、一日の仕事を終えて食事を楽しみにしながら帰宅。しかし、すでに食卓に準備されていた船盛りには、これまでにない衝撃があった。
マクドナルドのハンバーガーが2個乗ってるだけ。妻いわく、「今日いろいろバタバタしちゃって、ちょっとこれでカンベンして」とのこと。まあそういう日もあるとは思うが、胸に去来するかなしみはごまかせない。
うれしくない。こんなにうれしくない船盛りは初めてだ。
船盛りがかもし出す豪華さにも限界はある。そういうことを思い知ったハンバーガーの船盛り。
火曜日:ある意味びっくりドンキー
もそもそとハンバーガーを食べていた私に気をつかってくれたのか、翌日の夕食は豪華にステーキだった。
…微妙にうれしくないのはどうしてだろうか。ステーキはうれしい。船盛りもうれしい。それぞれうれしいのだが、それが合体するとなんだかうれしくなくなる。なぜだろう。
ああ、普通に鉄板に乗ったステーキが食べたい。僕はなんて勝手な男なのだろう。人間のエゴが船盛りに見え隠れする。
水曜日:ファンシー満載の船盛り
この日は都合で外食をしてしまった。それでも自分で決めた船盛り一週間はちゃんと達成したい。ディナーはデザートまで含めて考えてよいだろうということにして、趣向を変えてみた。
フルーチェの船盛り。字にするとサラッと読めてしまうが、冷静に考えると相当おかしい。ちょっとおしゃれなパーティーに、などと適当なことまで口走りそうになる。
それでもフルーチェを食べてみると、いつも通りにおいしい。料理は器も楽しむもの、という言葉も聞いたことがある気がするが、ここでは器のことは無視してフルーチェそのものを楽しみたい。
消費される船盛り感
以上、無理やり船盛りにしてみた7日間。はじめの頃は「船盛り!船盛り!」と興奮していた私だが、日が経つに連れて「また船盛りか…」と思うようになっていった。
普通の器で食べたい。心の底でそう思ってた。
深い何かを示唆しているようでもありますが、やってることは無茶な船盛りなので、変な教訓などを導き出さない方がいいと思います。