河川敷のボート屋「のんきや」の主人にボートを出してもらう様お願いする。
「今日は、駄目だよ」 主人が首を横に振る。 「えっ?」
何でも先日の台風の影響で、まだ風が強いので今日はボートを貸し出せないと言う。 じゃあ、何でそこにいるのか?
「どうしても駄目ですか?」 「流されちゃって、危ないから駄目」
ボートに乗れない。まったく予想していなかった事態に愕然とする。 早くも「糸電話で市外通話」は失敗なのか……。
「上を通しましょう」 男性スタッフの前田が橋を見上げた。
「まず橋の上からこちら側の河川敷に糸を垂らして受け取ってもらい、我々は橋の上を糸を伸ばしながら歩くんです。で、向こう岸に着いたら、スミさんが先に下に降りて下さい。僕が糸を投げ落とします」
そんな事が出来るのか? 前田「やらして下さい、やりますよ」 スミ「やれるのか?本当におまえ……」
当時、藤波辰巳(現・新日本プロレスリング社長)は、猪木の存在を超えられない事への閉息感を抱えていた。その不満がピークに達したS63年4月22日、沖縄県立奥武山体育館の控室で藤波は猪木に牙を剥く。世にいう掟破りの下克上である。 藤波「やらして下さい、やりますよ」 猪木「やれるのか?本当におまえ……」
※詳しくは2月の特集「猪木ボンバイエ」をご参照下さい。
確かに、ここで諦める訳にはいかない。前田の言う通り、我々は橋を歩いて糸を渡す事にした。 川崎側には女性スタッフ2名が残り、僕と前田の2名で東京側に向かう。橋を渡る危険な役目は男性陣が引き受けた。