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特集


フェティッシュの火曜日
 
本場の木彫りの熊を買う
郷土資料館 なにげなく木彫りの熊が
写真a) クマらしいタイプ
写真b) 擬人化タイプ 分数の計算してる
木彫りの熊つき床柱
木彫りの熊楽団。

郷土資料館に行った

売りものはないだろうけど、とりあえず、公民館の2階にある郷土資料館に行った。おお、ガラスケースひとつがすべて木彫りの熊だ(なんで自分でもこんなに木彫りの熊で盛り上がっているのか分からなくなってる)。

本場の木彫りの熊は、空港で売ってるやつみたいにシャケをくわえたりしていないのだ。おおまかに2種類いた。

1. もっとクマクマしている (写真a)
2. ものすごく擬人化されている (写真b)

どちらも昭和初期の作品である。どちらもやたらとかわいい。日本ってむかしからかわいいもの好きの国だったのか。

 

きっかけは殿様だった

どうしてここが木彫りの熊が発祥になったか。その経緯はこうだ。

1.八雲の農場主、徳川義親がスイスで木彫りの熊のみやげを買う
2. 帰国後、冬場の副業として木彫りの熊を作るように進める
3. 地元農民の伊藤政雄さん、傘の骨をといで作ったノミで第1号制作(大正13年)
4. 以降、大流行。

八雲は尾張徳川家が開墾した土地なので、殿様の末裔がいたのだ。この徳川義親という人は東南アジアで虎刈りや象狩りをしてて「トラ狩りの殿様」と呼ばれていた人物。バカ殿と称されていたと書いてある資料もあった。あー。

ここからは想像だけど、殿様が木彫りの熊を買ってきて「冬のあいだ、やることないんだったらこれ作るのどう?」と言われた農民の気持ちは、

まじでー?

だったんじゃないかと思う。また殿様がへんなことを…。

しかし殿様なので

「作ったものは全部買い上げる」

と言ったとのこと。さすが。芸術の影にパトロンあり。しかも農民が熊を研究できるように、自分の農場内にヒグマを飼育させた。

もうこうなったら木彫りの熊を作るしかない。こうして冬になるとみんなでコリコリ木彫りの熊を作る町ができたのだ。

まんがみたいな話である。

 

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