印象に残っている映画
故・伊丹十三監督の映画で「大病人」という作品がある。
三國連太郎扮する主人公のガン発覚から亡くなるまでを描いた物語で、私はこれに強い感銘を受けた。
こんなシーンがある。
寝たきりの患者がベッドにいる。彼は痰がつまって息ができなくなるという理由で喉に穴を空けられ、そこから定期的に痰を取られている。
喉に穴が空いているので喋ることもできないし、食べ物を食べることもできない。末期癌でこの先良くなる見込みもないのに、食べる楽しみも無ければ苦しみを訴えることもできない、という大変恐ろしい場面だった。
自分がその立場になったら…、と考えると寒気がした。
映画では、もう助かる見込みが無いとわかった時には無駄な延命治療は止め、良い臨終の時を迎えられるよう準備をしようと言っていた。私もそれがいいと思った。
観終わってから
「うちは無駄な延命治療はしないことにしよう!」
と親などに宣言した(と思う)。
少なくとも観た直後くらいは。
ところが・・・。
祖母の死
祖母が老衰により、ある時期から寝たきりになった。
90歳を過ぎていたので、そろそろ亡くなっても誰も不思議に思わない状況だったが、現代の医療技術はすんなりとは死なせてくれなかった。
食べ物が食べられなくなり、胃に直接チューブを入れて栄養剤が投与されるようになった。既に意識もほとんどなく、喋ることもなかったという。
遠方に住んでいる私は電話でこの状況を聞き、まさに映画で見たパターンと同じではないか、と思った。
が、いざ身内がそうなってみると、
「もういいからチューブを抜こう。」
とは絶対に言えない。
ただ流れに身を任せるしかない感じだった。
もっとも、私は直接介護をしてなかったので、立場上そんな余計な口は挟めなかったというのもあるが…。
祖母がなくなったのは、それから1年半後だった。 |