食べ物の「好き嫌い」がない。…のが悩みだ。
キライな食べ物がない人間というのは、どことなくデリカシーに欠けた印象がないだろうか。それが言い過ぎなら「大雑把そう」というか。
一度にたくさん同じ物を食べすぎたせいで、それを嫌いになったという話を聞いたことがある。 それが本当なら、今からでも嫌いな食べ物を作ることは可能だ。
というわけで、大好物の「うずらの卵」を大量に食べて、嫌いになれるかどうか試してみました。
(高瀬 克子)
うずら卵の価値
うずらの卵が好きな人は多い。 だが、一度にたくさんの量を食べる機会に、あまり恵まれないように思う。
私たちはもしかして、あの稀少価値に惑わされて「うずらの卵が好きだ!」と言わされているのではないか。
ためしに居酒屋で「うずらの卵フライ」を頼んだが、卵は5個しかなかった。2〜3人で注文したら、1人の口に入るのは、せいぜい1個か2個という少なさである。
この「もっと食べたい!」という気持ちが「好き」とゴッチャになっている可能性は否定できない。
私があまりに「うずら! うずら!」と騒いだせいか、大部分は私の胃袋におさまった。友というのは、ありがたいものである。ああ、それにしても、うずらの卵。
なぜこんなに好きなのか、理由を考えてみた。 まずはその稀少価値だ。さらに見てくれの可愛さが高ポイントであることは間違いないが、味の点で言えば、黄身の割合の多さに尽きる。 普通の卵より味が濃いのだ。
夢の「うずらの卵だらけ」
「うずらの卵を嫌いになるほど食べてみたい。うずら卵だらけの宴を開きたい」という私に、同席したKさんがこう言った。
「うずら卵だらけ…。まるで女だらけの水泳大会みたいだね。でも、女だらけの水泳大会に出たからって、女嫌いになるか?」
――な、ならない…かも。