20年前、ぼくはここにいた
20年前の1986年、ぼくは茨城県内の小学校の4年生だった。
今回、当時通っていた小学校に事前にお願いをしたところ、幸いにもふつうの授業時間に敷地内で撮影をすることをお許しいただいた。
迎えてくださった教頭先生に挨拶をし、なつかしの小学校の中にお邪魔することにする。
お昼時。このクラスは掃除の準備中。
この日(木曜)は朝から図工だったらしい。たしかに図工は2時間連続だったような気もする。
男の子はほうきを使って遊ぶ。ぼくもそうだった。
4年生以上の生徒はぼくを見かけると必ず大きな声で「こんにちは」と言う。そしてすごい笑顔だ。カメラを向けるとかならず照れる。
ぼくは彼らの3倍の時間生きてきたことになるけど、とてもそういう気はしない。というよりぼくが成長していないというべきか。
掃除をさぼって女の子に怒られる男の子の気持ちはいたいほどよく分かるし、先生になつく気持ちもわかる。こういう部分はたぶん何才になってもあまりかわらないんだろう。
そして当時住んでいた家
そのとき住んでいたのは、小学校と目と鼻の先にある団地内の一棟だった。713棟の13階。いまでも数字を覚えている。
建物のかべに「うらめしや」に類する文字が浮き出る、という噂で、夏のあいだはカップルが見物にきたりして周辺がかなり賑わったこともある。
住んでいる当人にとっては、残念ながら単なるシミ以外にはどうしても見えなかった。
この壁に文字が出るといううわさだった。
団地のさみしいところは、故郷のつもりでかつての家をたずねようとしても、いまではまったく違う人が住んでいることだ。
今回も郵便受けを眺めてみたけれど、ぼくの慣れ親しんだ番号にはとうぜんながらまったく知らない人の名前が書いてあった。