●全てを現したしばられ地蔵
そういうわけで再びやってきた大晦日の夜。昨日の昼間は人もあまりいなかったのだが、やはり雰囲気が変わる。
昨日の訪問時からあとも少しは参拝客がいたはずなので、巻かれている縄は微妙に増えているのかもしれない。一見何だかわからない感じは2日目になっても衰えない。
掲示されていた予定表では、23時から縄解き供養が始まるとある。静かにそのときを待つ。
時間になると、お寺の方たちが厳かに入場。「入場」という言い方も違う気がするが、供養を今か今かと待つたくさんの人たちの間をやって来る様子からすると、どうも入場っぽく感じてしまう。格闘技の試合前に雰囲気が似ているのだ。
御住職がお経をあげると、縄解き開始だ。
あれだけの縄なので、解くといっても簡単なことではなさそう。横にいる人がハサミで縄をジョキジョキと切り、ほぐれやすくなった縄を住職が解くという流れで進む。
どんどんほぐれていく縄。縄煙とでも言えばいいのか、もくもくとそんなものがあがる。
ついに全貌を現したお地蔵さま。おだやかなお顔をしているが、あれだけのグルグル巻きから脱したところを見ていたことからか、やっとほっとしたようにも見える。
この日もたくさんの人が訪れていたので、また願いを叶えるべくたくさんの縄が縛られるのだろう。
お寺の人の話によると、全て解かれるのは大晦日だけらしいが、縄がどんどん巻かれていくと年末でなくても量的に限界を迎えるようで、ときどき少しは縄を解いているとのこと。境内には年の途中で解かれた縄がうなりを上げていた。
これからお焚き上げとなるらしい。年間に出る量は2トントラックで2台分ほどとのことなのですごい。
年が開け、住職が一番縄を巻いたあと、一般の人たちが願掛け縄を縛る。お地蔵さまが自由の身でいられる時間はとても短い。
さらばお地蔵さま、また様子を見に一週間後に来るけれども、無事に会うことができるだろうか。