全国にいくつかある大きな観音さまや大仏さま。特に大仏の方は、奈良や鎌倉といった歴史の長いものもある。
「大仏」というくらいなのだから大きいのが標準である。ただ、その言い方ではおさまり切らない、いわば超巨大仏とでも呼ぶべきものが近年になって建てられている。
中でも茨城県牛久市にある「牛久大仏」は、高さ120mもあり、世界最大とのこと。
うーん、すごそう。ただ、120mと言われてもあまりピンと来ない。そういうわけで実際に見に行ったところ、予想外の感覚にクラクラさせられてきました。
(小野法師丸)
世界最大、ちゃんとギネスブックにも登録されているという牛久大仏。ただ、高さ120mとか顔だけで20mとか、スペックだけを聞いてもよくわからない。やはり自分の目で見たい。
そういうわけで、大仏さまに向けて車を走らせる。だんだん近づいていくうちに、窓から見えてきた。
地面に立っている大仏が確かに見える。それはいいのだが、どうも大きさがよくわからない。まだ大仏まで少し距離があるからなのだろうか。
指で高さを作ると1cmくらいしかなくて混乱する。指に視線を合わせると小さく感じるが、そういうことではないだろう。
近づく中でさまざまな角度から見える大仏。大仏そのものの大きさが変わるはずはないのに、周りの景色によって感覚的に大きさがかなり違って見える。
どうも不思議な感覚だ。早くも翻弄されている。もっと近づけははっきりわかるだろうか。
いよいよ入口に到着、というところでの写真なのだが、この画像でもその大きさがよく伝えられないと思う。現場にいるとさすがにでかいと思うのだが、写真にするとわかりづらい。
この撮り方だとどうだろうか。
やっとなんとか大きさが伝わる写真になったと思う。それでも直観的にでかいというより、木や人の大きさと比べて考えるとおかしな大きさだとわかるという、理解するタイプのでかさだとも思う。
間違い探しのようにも見える。その間違いとは、「大仏がでかすぎる」ということだ。
写真でも混乱すると思うが、現場にいてもおかしな気持ちになってくる。確かにでかいと思うのだが、しばらくいるとその大きさに慣れて、そうでもないかと感じ始めるのだ。
ただ、トイレに入ってまた出てきて見ると、やっぱり大きいと感じたりもする。感覚が狂うのだ。
この大仏が確実にでかいんだという表れは、別のところにもあった。
家族と一緒に来ていた子供がずっと「こわい…こわいよう……」と言いながら、泣き続けているのだ。
入口でもかなり嫌がっていたのだが、ついには抱きかかえられて大仏の方へ連れられていった。それでも本気で泣いている。そうだよね、やっぱり大仏、異常にでかいよね。