特集 2013年4月2日

羊をめぐる冒険(八尾版)

この歴史ある街に羊飼いのおっちゃんがいる
この歴史ある街に羊飼いのおっちゃんがいる
大阪府八尾市久宝寺。大阪のベッドタウンであり、寺内町であることも有名だ。

ここに羊がいるという。空き地に羊がいてたまにおっちゃんが世話しにやってくるらしい。

羊飼いだ。なぜこんなところで羊飼いが。大阪の住宅街にいる羊飼いを追った。
2006年より参加。興味対象がユーモアにあり動画を作ったり明日のアーという舞台を作ったり。

前の記事:0点の答案を丁寧になぞると脳がマイルドにとけていく

> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

羊飼いといえば海外

羊飼いといえばイメージとしては西洋のもの。

[参考]Google画像検索結果「羊飼い 絵画」

アルプスの少女ハイジならペーターという男の子がそれだ。(※と思ったがペーターが飼ってるのはヤギらしい)
こちらはトルコの羊飼い
こちらはトルコの羊飼い

対して久宝寺は寺内町

対して久宝寺である。聖徳太子が建てたらしい久宝寺はいまやその姿もない。かわりに顕如が建てた顕証寺があり、お寺に敵がせめてこないように町は環濠でかこまれている。いわゆる寺内町である。

そんな寺内町にペーターがいる。この文脈で出てくるか、ペーター。
それがなぜ久宝寺に
それがなぜ久宝寺に

私と久宝寺

私の実家は同じ八尾市にあり、入っていたサッカー少年団の姉妹チームが久宝寺にあった。

オレンジ色の南山本JSCに対して、デザインもマークも同じでそのままみどり色にしたのが久宝寺JSCだった。

童話にでてくるようなとなり町感だった。用がないと行かないこともとなり町らしく、八尾に生み落とされて32年経ってはじめてやってきた。

それも羊飼いをさがして、である。どこまでも童話である。
童話とかいってますが、年季入りすぎた町です
童話とかいってますが、年季入りすぎた町です

町の人は知らないという

駅をおりてしばらく歩く。古くからの集落で年季の入りすぎた家がたくさんある。

ためしに通りがかったおばあさんをつかまえて、このへんに羊がいると聞いたんですが……ときいてみると

「えっ、羊かいな? さあ、きいたこともないけどなあ」

全くそのとおりだ。寺ならわかるが、ここに羊がいる文脈はさっぱりない。
町にはおじいさんおばあさんが多い
町にはおじいさんおばあさんが多い

羊でなくてヤギ??

もしかして誤情報か。もう一人おばさんをつかまえてきいたみた。

「え? ひつじ? ヤギとちがうの?」

なぞがふえた。どうなってるんだ、久宝寺。ヤギもいるのか。ヤギと羊って見た目でけっこうちがいますよね。

「ヤギやで。その中学まがったとこにヤギ飼うてる家あったように思うけどな。たくさんおる? いや、一匹やったんとちがうかな~。ちょっと、奥さん、知ってる?」

そう言って、おばさんは自転車に乗ったとおりがかりのおばさんをまたつかまえた(!)
羊でなくヤギ? (子を抱いてるのはすんません、帰省中なんです)
羊でなくヤギ? (子を抱いてるのはすんません、帰省中なんです)

羊はたしかにいたようだ

芋づるである。大阪おばはんネットワークはすごい。もとめてなくても芋づる式に情報がどんどん手に入る。

「羊? あ~、おったおった。どっかの会社が飼うてるんやなかったかな。でも今いーひんよ」

しまった。遅かったか。せっかくの羊の情報だが、もういないとは。

「むこうに空き地があってそこで飼うとったよ。くさかったわ~」

住宅街で羊飼いをやるとくさい。当事者の圧倒的なリアリティ。ほんとうにここに羊がいたのだ。
ヤギはあっちで羊はこっち。どうやら2種類いるらしい。
ヤギはあっちで羊はこっち。どうやら2種類いるらしい。

この空き地にちがいない

羊がいた場所をたしかめてみようと中央環状道路のほうに歩くと、空き地がちらほら出てきた。一体どの空き地だろう。だが近くにいくとすぐわかった。

ちょっとまだくさいのだ。ポコッとここだけけものの匂いがする。なにも知らずに歩いているとものすごい違和感である。
「匂う、ぜったいここ!」
「匂う、ぜったいここ!」

ここまでわかったこと

・羊はいた(もういない)
・羊がいた空き地はくさかった
・別の場所にヤギもいるらしい
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工場のとなり。たしかに羊が飼えそうなくらい広い空き地ではあるが
工場のとなり。たしかに羊が飼えそうなくらい広い空き地ではあるが

ヤギはどうなったのか

たしかに羊の気配はあった。しかし羊はもういない。

残るはヤギの目撃例である。羊とまちがえてるのかもしれないし、羊自体どこかに移されているのではないか。

教えてもらったヤギがいる場所近くにやってきた。するとまた空き地があった。
空き地がある。しかしヤギはいない
空き地がある。しかしヤギはいない

ヤギはどうなったのか

通りがかったお母さんたちに聞いてみるとたしかにここにヤギはいたという。それはだいぶ前のことで、今はどこにいったのかわからないそうだ。困った。

困ってる私をみかねたのか、お母さんたちはキリストの絵が描かれた宗教のパンフレットをくれた。

羊飼いイエス。なんとなく、タイムリー。だがこのタイムリーさ、どこにぶつければいいのだろう。

タイムリーを持て余す午前11時の久宝寺。
宗教のパンフレットをもらった。キリスト教では人を羊にたとえ、キリストは羊飼いにたとえられる。このタイムリーさ、ムダだ。
宗教のパンフレットをもらった。キリスト教では人を羊にたとえ、キリストは羊飼いにたとえられる。このタイムリーさ、ムダだ。

豚もか

空き地の近くであそんでいた女の子がいたのでヤギを知らないか聞いてみた。

「ヤギおったけど、もういーひんでー。うん、羊もおった。羊はちがう空き地んとこ。たくさんおったなあ」

あ、じゃあ別にいたんやね。

「うん、そう。豚もおったで」

豚もか。どうなってるんだ、久宝寺よ。
その辺であそんでた子供に聞いたらおばあちゃんを呼んでくれた
その辺であそんでた子供に聞いたらおばあちゃんを呼んでくれた

これ記事になるのか?

「豚もおったやんなあ、おばあちゃん?」女の子は二階のベランダにいるおばあちゃんに声をかけてくれた。

おばあさん、羊が今どこにいるかご存知ないですか?

「死んだんとちがうかな。倒れてんの見たもん」

バッドエンディングである。羊がいました、探しました、死んでました……こんな後味のわるいレポートでいいのか?
宗教のパンフレットをもらった。キリスト教では人を羊にたとえ、キリストは羊飼いにたとえられる。
「ここで死んでました」後味のわるさよ

写真が手に入った

ヤギも羊もいた。だが間に合わなかった。死にました。それでいいのか、空き地に羊やヤギがいた姿だけでも見たいじゃないか。

見られます。

実はこの久宝寺のヤギの写真をブログにのせた人がいる。その人から写真の転載を許可してもらった。これだ。本当にいたのだ。
いた。ほんとにいたんだ (写真はポタフォトさんから サイトはこちら)
いた。ほんとにいたんだ (写真はポタフォトさんから サイトはこちら
こっちはすごい、これもう放牧だ (写真はポタフォトさんから サイトはこちら)
こっちはすごい、これもう放牧だ (写真はポタフォトさんから サイトはこちら

これが八尾なのか

羊の写真もすごい。さきほどの空き地に青々と草がおいしげっている。これぞ羊の放牧であるが、背景に近畿道の高架と工場が見えている。

やはりここは久宝寺なのだ。
ヤギはマスコット的に飼ったりする場合もあるが、羊を集団で飼うのはすごい (写真はポタフォトさんから サイトはこちら)
ヤギはマスコット的に飼ったりする場合もあるが、羊を集団で飼うのはすごい (写真はポタフォトさんから サイトはこちら

ペーターを探せ

この羊たちがほんとうに死んでしまったのか。話は先ほどの二階のおばあさんにもどる。

「ショウノさんとこが飼うとったんやないかな。ショウノさんいう人が会社やっててそこで飼うてるいう話やったけどな。

会社はなんとか自動車って書いてあるとこの近く。今日は日曜やからいてへんのとちゃう?」

羊飼いのペーターとはショウノさんという社長さんだった。記事になるのかならないのか。ショウノさんを探して真相をつきとめよう。
ぶらぶらしてるおっちゃんに聞くも「この辺、車屋はけっこうあるけどどこやろな~」情報がとだえた。あったとしてもやってないので、平日に出直すことにする
ぶらぶらしてるおっちゃんに聞くも「この辺、車屋はけっこうあるけどどこやろな~」情報がとだえた。あったとしてもやってないので、平日に出直すことにする

ここまでわかったこと

・羊はいた(もういない)
→ 死んだらしい
・羊がいた空き地はくさかった
・ヤギもいるらしい
→ヤギもいた
・豚もいるらしい
・ショウノさんが飼っているらしい
・ショウノさんは平日にいる

いったん広告です

出直す

ショウノさんの会社がどこかはわからなかった。日曜は会社が休みだそうなので、いなかったろう。

家族は東京にもどり、私だけ羊をさがしてメルヘン延泊である。さあ、バッドエンディングから挽回なるか。
翌日、一人帰省を延ばして再び久宝寺。交番で聞いてみるも「羊かいな! 聞いたことないで」と逆に驚かれる
翌日、一人帰省を延ばして再び久宝寺。交番で聞いてみるも「羊かいな! 聞いたことないで」と逆に驚かれる
この辺りかなと会社の人に声をかける。「うちうち。それうちやわ」
この辺りかなと会社の人に声をかける。「うちうち。それうちやわ」

引き当てた

なんとか自動車と看板が出てるとこ、と聞いてたので車屋をさがしていた。場所としてはこの辺りなんだが……

大きなゴミ箱のようなものを倉庫で洗っている会社があった。すいません、この辺で羊飼ってる会社があると聞いたんですが……

「うちうち。それうちやわ。ほら、あっこに豚おるで」

当ててしまった。しかもそこには豚が。引き当てたのはこっちなのに心臓を射抜かれたような驚きがあった。
豚がいた
豚がいた

謎がどんどんとけていく

「社長~! なんか羊のことききたいいう人が来てはるけど」

と呼んでもらって出てきたのは株式会社WESTの代表、正野さん。

――(この人がペーターか……)すいません、羊はどうなったんですか?

「羊は別のとこにいてますわ~。空き地で飼うてたんはうちです、ヤギもおったしね。豚はほら、そこにおるでしょ」

よかった、生きてた。しかも全部いたのだ。目の前のおっちゃんの言葉が今、福音のように心にひびく。

――なんでここで動物を飼ってるんですか?

「うちね、産業廃棄物を動物のエサにできないか今研究してるとこなんですわ。

たとえば素麺屋さんから廃棄物が出るでしょ、そういうのをエサにして動物を育てる。動物がフンして畑に帰る。そういうことを研究してるんです」

――なんでまた羊を?

「ヤギも羊もエサが牛に似てるんです。羊を育てられたら牛も飼える。その研究のためにやってるんです」

とけていくとけていく、謎がどんどんとけていく。あれだけ不思議だった羊も、理由を知ってしまえばそれも道理である気さえしてくる。

さあ、みなさんに聞きたい。久宝寺に羊の何がおかしいのか。
株式会社WESTの正野社長。
“飼ってます”感出てます。株式会社WESTの正野社長。

今は奈良にいるらしい

――羊はどれくらいいるんですか?

「全部で150頭くらいになるかなあ。奈良に牧場があってね、今はそっちにいてるんですわ」

――そもそもなぜ久宝寺なんですか?

「ぼくがもともと久宝寺の人間いうこともあってね。こっちの農業とつながりがあって、たい肥の研究に飼うとったんですわ。

久宝寺でたい肥を作ろうとしてもカラスのえじきになる。それやったら羊やらに食わせてフンしてたい肥作れないかと思ってね。空いてる土地に飼うてたんです」
「これは買うてきたけどね」産廃物を家畜の飼料にできないか研究してるところなんだそうだ
「これは買うてきたけどね」産廃物を家畜の飼料にできないか研究してるところなんだそうだ

ここまでわかったこと

・羊はいた(もういない)
→死んだらしい
→いた、エサの研究用
・羊がいた空き地はくさかった
→ふれられない
・ヤギもいるらしい
→ヤギもいた
→いた、エサの研究用
・豚もいるらしい
→いた、エサの研究用
・ショウノさんが飼っているらしい
→エサの研究をしてる会社
・ショウノさんは平日にいる
→たぶんそう

久宝寺の羊飼い、いい謎だった

楽しかった。無防備な感想ではあるが、謎のベールがぽろぽろとはがれおちていくのはめくるめく快感である。

久宝寺のペーターは飼料研究中の社長さんだった。

わかってみればなんだそういうことかと、謎をさぐるのはいつもそんな感じだ。見つかってしまうと一体あの熱量はなんだったのだろうと気恥ずかしささえおぼえる。久宝寺に羊、どこがおかしいのだ。

いや、おかしいぞ。やっぱり。
まさか豚を見るとは
まさか豚を見るとは
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