きっかけは「SPEED」だった
放っておくとどんどんメニューが増える店だったので、きっと今なら「ペ・ヨンジュンらーめん」があるに違いないと楽しみにしつつ、約1年ぶりで店を訪れた。
…えー、店鋪が移転してました。それにともなって麺の種類も減少。一体なにがあったのでしょうか。
「なんせ引っ越したばっかりで…。この態勢に慣れたら、また徐々にメニューを増やすつもりです。え?冬ソナらーめん? あはははは! 作ろうと思ったんですけどねー」
話好きの御主人は、聞いたことには何でも笑顔で答えてくれる。
「最初は“もやしそば”とか、普通のネーミングだったんですが、あるときチャーシュー丼のことを《いちばん早く出せるメニュー》だから“SPEE丼”と呼び始めた子がいたんです。SPEEDが解散した後はそれが“解散丼”に変わって…。それからですね。お客さんが『こんなの考えたよ!』って、いろいろ名前を付けてくれるようになったのは…」
なるほど、そういうことでしたか。
SPEEDの解散が2000年だから、このようなメニュー形態になったのはここ5〜6年の話ということになる。…意外に歴史が浅い。
まさかSPEEDの皆さんも、自分たちの存在が一軒のラーメン屋の性格を決定付けることになろうとは思ってもいなかっただろう。
「今までに作ったラーメンを数えてみると70種類くらいあるんです。昔のメニューをリクエストされたら作りますよ。…思い出せる範囲でですが」
私の質問に「あれは何ていう名前だったかなぁ…」と御主人が頭を悩ませるたび、そばにいたお客さんが「あ、あれは松鳥菜々子からゴマキに名前が変わったんだよ」などと、店側でさえ覚えていないようなことを答えてくれる。
いろんな意味で、お客さんに恵まれてます。 |