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ちしきの金曜日
 
気になる堰、そして円筒分水へ

あの堰が気になって気になって

家の近くを走っている電車が多摩川を渡るとき、車窓から川を眺めると少し下流に堰のようなものが見えます。堰があると言うことは、そこから川の水が何かの目的で取水され、用水路が伸びているはず。何のための水なのか、どんな水路なのか、どこまで伸びているのか。気になったので実際に行ってみました。

すると、水路の先にはさらに面白いものがあったのです。

全行程はこちら

萩原 雅紀



二ヶ領用水上河原堰堤

というわけで、橋を渡ったところの駅で降りて河原まで歩いてきました。さっき電車で渡った橋が目の前に架かっています。いつも見ているだけだった場所に立っていると思うと、それだけでテンションが少し上がるのはなぜでしょうか。
疲れて正気に戻る前に、さっそく気になっていた堰まで行ってみましょう。


僕はここだよー あそこがスタート地点
ときどき運行してる渡し船、これも乗ってみたい Yシャツ姿で釣りをするおじさん発見、ちなみに平日昼間

高いテンションのせいでいろいろなものに目が行って少し時間がかかりましたが、ようやくスタート地点の堰に到着しました。
山奥のダムにはよく行くのですが、そう言えばこういう街の中にある堰ってちゃんと見たことなかったので楽しみです。


おおお

いきなりかっこいい。非常にスパンの長い越流型シェル構造ローラーゲートが3門、奥の方は自然越流式の固定堰です。(地図)

あ、今回特に用語解説とかしないので、意味不明な専門用語が出てきたら「ああ、とりあえず興奮してるんだな」くらいに受け流していただければ幸いです 。


ゲートの下、もぐってみたい なだらかな曲線が美しい固定堰

サイクリングの人や散歩の老人が背後を行き交う中、ひとり柵にかじりついて堰を鑑賞。正式名称は「二ヶ領用水(にかりょうようすい)上河原堰堤」と言うそうです。つまり、ここから取水された水は「二ヶ領用水」と呼ばれているわけです。

二ヶ領用水について調べたところ、もともとは豊臣秀吉によって領地を江戸に移された徳川家康が家臣に命じて造らせた農業用水路で、完成したのが1611年。江戸時代の初期も初期、将軍は二代秀忠の時代です。あまり深く考えずに調べて豊臣秀吉とか出てきたのでびっくりしました。
江戸初期と言われてもぜんぜんピンと来ませんが、約400年もの歴史を持つ用水路で、二ヶ領という名前は江戸時代にこの用水が流れる地域が「稲毛領」、「川崎領」と呼ばれていたため。この水路の開削によって現在の川崎市周辺は稲作が盛んになり、収穫された米は江戸前寿司などに使われて、たいそう評判が良かったそうです。

恐らく現在に至るまでには何度も改修され、原型を留めているところはほとんどないと思いますが、家康が命じて造らせた水路がこんな都市の中で今でも現役で使われている、というのは純粋に驚きです。

堰の上流側に目をやると、その用水路が分岐していました。ここから水路沿いに歩いてみることにします。


二ヶ領用水の始まり この水門で流量を調整しているのだと思う

 

水路の立体交差

少し進むと、二ヶ領用水は上河原堰堤の下流で多摩川に流れ込む三沢川と交差していました。真っすぐ流れる三沢川に対して、用水路は一旦プッツリ途切れ、川を越えたところで何もなかったように復活しています。恐らくサイフォンの原理で三沢川の下をくぐっているのだと思いますが、まるで正直者にしか見えない水路橋が架かっているかのような、不思議な光景です。(地図)

ここから下流はしばらくのあいだ美しく整備された小川として流れますが、やがて普通のコンクリート護岸の川になります。いまいち面白くないので、一度多摩川まで戻って、少し下流にあるこの用水路のもうひとつの取水地点、宿河原堰堤に向かうことにしました。


川と水路の交差部分。分かりにくいけど、川は画像左から中央右へ、水路は中央左から右手前へ流れる 一部の区間は緑豊かな小川として整備されている

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