都会の漂泊者とその影
新宿駅についた。東南口下の広場は以前ティッシュを配ったこともある場所なのでここに決めた。
人通りが多く、ティッシュ配りやビッグイシュー売りがたくさんいる。ここに僕がHDデジタルビデオカメラ募金として加わる。
うん、がんばろう。
がんばります
位置取りはどうしようか考えた末、エスカレーターから降りてきた列がバラけるようなポジションにした。邪魔にならないように、かつ地味すぎないように。
位置についた。どうなるだろうか。
5分経過。
人通りは多いが、全て通り過ぎていく。この日は雨が降りそうなどんよりとした天気で、風も強かったせいであろうか。あるいは天候など全然関係ないだろうか。
人がいなくても不安
そして時はただ過ぎる
声を出すか、否か
一向に募金に応じてくれる方が現れない。何故だろう、声を出していないからか。そうかもしれない。だが、いまさらかもしれないが、言わせてほしいことが一つある。
それは恥ずかしい。
これっきり
そもそも僕の声が小さいこともあるが、それ以上にプライドあるいは良心の呵責、いや、理性、常識など、人間を近代的なフレームに収めておくためのリミッターが作用していて声がでなかった。
前もっておかしなかっこうをしておくなど、リミッターを解除しておけばできたかもしれない。
結局この動画のために、声を出したっきりであった。
ここに来て ついに見つけた 我が理性
大方の予想通りだと思うが、1時間ほど駅前に突っ立っていた結果募金頂いた額は0円であった。
日が暮れるまでもう少し時間があったのでつづけるべきかと思ったが、冷たい風に吹かれ続けた(しかも強風)上、雨もぽつぽつ降り始め、体調が悪くなり始めたので打ち切った。
結果、得たものと言えば翌日の頭痛である。天罰だと思った。
ティッシュ配りはチームになっていた
働けということか
近頃「貧しい子どもたちのために!」などと言って募金をしておいて、集まったお金を我が物にしてしまう、募金詐欺と呼ばれる犯罪が発生しているらしい。極悪である。
今回の企画はそれとは一線を画すものだが、「我が物にします!」などと言って募金をしたとしても、一切お金は集まらないという結果に終わった。その点では都会の知性を我々は信用してもいいのではないだろうか。
いいのではないか