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こんなになっちゃって |
改めて考えてみると、工業製品でも民芸品でも、よく考えられ、きちんと作られているなと思われるものばかりに囲まれている私たちの生活。優れた品質のものを提供するという点で、それは基本的よいことだと思う。
逆に、自分が仕事をする立場にあるときには、隙や不完全さをなくそうと努力するものだ。そうであるべきだと思う。
しかし同時に、無意識のうちに、そうした状況に対する物足りなさや息苦しさをなんとなく感じてはいないだろうか。それは自覚されないから気がつかないのだが、ダメなマトリョーシカを見て湧いてきたうれしさは、それが裏側から照らし出されたものだと思う。
マトリョーシカをむき進め、ついに出会うあきらめとやっつけの境地。最後の最後に出会ったそれに、僕は解放を覚えたのだと思う。 |