ずっと疑問に思っていたあれを現実化
マリオ編で子供たちの心に「?」のともしびをつけることはできた。今度はさらに別のものを提示して、大人のみなさんにもなんとかその火をともしたい。
そう考えて作ったのはこれだ。竹ひごの先を2つに裂いて、小さな葉っぱをつけたもの。
野球マンガ「ドカベン」に出てくるキャラクター、岩鬼である。いつも双葉のついた細長い棒をくわえている彼である。(ピンとこない方はこの記事をご参照ください)
まず自分でこの写真を見て思ったのが、「こんな奴いないな」ということ。現実味を持たせるというのが今回のルールなので、その決まりにやや抵触している感はあるが、ぎりぎりのところでなんとか囁きを引き出したい。
今回最も恥ずかしかったのは実はこの出陣。泥棒包みにしろタートルネックにしろ、まだ「もしかしたら実際にこういう人っているかもしれないよね」という言い訳がなんとかできていたのだが、今回はその頼みの綱が怪しい。
ビジュアル的にそれほど派手ではないにも関わらず、こんなのくわえてる奴はいない。
だからこそ突っ込みが欲しかったのだが、やはり出てこない。岩鬼って気付いてくれなくてもいい。「今のなんなの?」的なものでもいいから何か言ってくれ。
そう思ってうろうろするのだが、発生するのは気まずい沈黙ばかり。なんとなくバンカラっぽく歩いている分むなしい。
写真で確認すると、抱っこされている子供が私を見ているのが確認できたが、今回のターゲットは君たちではない。好奇心にあふれた子供ではなく、心に冷たい鎧を着た大人からのリアクションが欲しいのだ。
たぶん気付いてくれている人はいたと信じたい。心の声を現実の声として聞きたかったのだが、それは難しいことなのか。
実際にいるあの人で心の声を呼び起こしたい
ドカベンの岩鬼は現実にはいないキャラクターであることと棒のありえなさとで、私の側にも弱気になっていた部分があったことは否めない。
ならば、実際にいるインパクトのある人と化して、道行く人の「?」の声を引き出したい。
いつも赤と白のボーダーシャツを着ているあの方、漫画家の楳図かずおさんだ。
あのインパクトの強いシャツが売っていないか探したのだが、見つけることができなかった。仕方がないので白いシャツに赤いガムテープを貼って自作することで対応。
本家は襟ぐりが赤かったりと、ディティールとしては異なる部分もあるのだが、まずまずそれっぽいものができただろうか。それでは出撃だ。
今回は現実として十分あり得る状況なので、岩鬼のときのように弱気になったりはしない。こういう派手なシャツの人、どこかで見たことあるでしょ。ほらほら、あの人に似てるじゃないですか。
そう思いながらうろうろする。しばらく行ったり来たりしてみる。
今回はある程度以上の年齢層の大人を中心にアクセスしていったのだが、どうもこれといった反応は見られない。確かにインパクトはある服装だと思うのだが、そこまで止まりか。
自分で写真を見てみても、やはり楳図先生独特のオーラは感じられない。どうすればいいのだろう。急に髪の毛をもしゃもしゃにするのも難しい。オプションを追加するべきだろうか。
楳図先生と言えばボーダーシャツに加えて欠かせないのが「ぐわし」である。意味こそよくわからないが、それゆえになんだかわからない迫力があるあの構え。(ピンとこない方はこちらをご参照ください)
これを繰り出せば、周囲の反応も違ってくるのではないだろうか。そう思ってやってみるのだが、全然できない。
調べてみたところ、楳図先生ご本人も「ぐわし」はできないらしい。やはりあの構えは結構難しいものであるようだ。
ならば仕方ない、「ぐわし」よりはマイナーになるかもしれないが、もう一つのハンドサインとして「さばら」がある(これは「さらば」の言い間違え的なものであるらしい)。中指と薬指を折り曲げるこの構え。これならできる。
雑踏の中ですれ違う相手を対象とするのであれば、「ぐわし」と「さばら」の違いはそう大きくはないと考えてもよいだろう。
そういうわけで、人々の心をしっかりつかむべく「さばら」を投入。さあこれでどうだ、と思ったのだが、やってみて気がついたことがあった。
恥ずかしいのだ。ボーダーシャツまではいいのだが、ハンドサインを加えることで急に恥ずかしくなったのだ。
やはりこれも「こんなことやってる奴はいない」という自覚が感じさせるのだろうか。写真でも確認できる通り、本家の勢いはまるでなく、実に半端な感じになっている。
家でテスト撮影したときはこの写真のようにノリノリだったのだが、いざ本番となるとせつない感じになってしまった「さばら」。それでも実は一度だけ、すれ違った人から「あれっ?」という声が聞こえてきた。
こっちを振り返りながらだったのでの私のことを言っていたのではないかと思う。そうです、さばらですと言いたい。
人の気持ちに微妙な波風を立てようと思ってやった今回の試みだが、一番ざわめいていたのは自分自身だったと思います。