難関突破
この記事とはまったく関係のないことなのだが、僕はくもが嫌いだ。あの、虫のくもである。 いま「くも」とひらがなで書いたが、漢字(やカタカナでも)を見るだけで背中がむずがゆくなるほどに嫌いなのである。 こういう山中にやってくると、どうしても彼奴に向き合う場面が出くわすが、普段はそう言った場合、事を荒立てずに穏便に引き下がるのを常としている。
プチ・ガンダーラ
しかし、今日の僕はちがっていた。 撮影用に持っていたレフ板でえいやえいやと巣を退治して、道を突き進んでいったのだ。 石仏の魅力が恐怖に打ち勝ったのである。 やったよ、おふくろ。 そしてその先にあったのは、まさに石仏の桃源郷というような景色。いわばプチガンダーラである。
型にはまらない楽しさ
一般的に神仏といいうのは様式が決まっていて、またそれを決めることが宗教の大事な一面でもあると思うが、江戸末期から明治にかけての民間信仰から生まれた石仏には、その様式から半ば外れたような、自由な表現が多く見られる。 石は彫るのが大変だというのも大きな理由だろうけれど、当時の人たちの、「ともかく石仏を」という切実さからこうなったのか、それともその逆の、おおらかさでこういう造形になったのか、僕にはよくわからないけれど、とにかく見ているといい気分になるのだけは確かだ。
何度もきてください
社務所で石仏マップつきの絵図を買ったときに、「石仏は時間や季節で光の当たり方が違いますから、何度でもいらしてください」と言われた。 まさにその通りで、一番最初に見た石仏も、あとで通りかかったときには、さっきとまた違う表情になっていた。 春には桜も咲いて、秋には紅葉も見られるそうなので、その時にはくもの巣よけを持ってまたこようと思う。