カラオケビデオにありがちなシーン(4) 都会をイメージさせがち
そして最後に紹介するポイントが、私がカラオケビデオにおいて最も気になっていた部分である。 カラオケビデオの中の価値観では、「都会=かっこいい」なのである。ストレートに。なんのてらいもなく。
こうしてできた、21世紀のカラオケビデオ
こうしてそれぞれの「ありがち」要素を組み合わせて、21世紀版カラオケビデオができた。
ここに、いつもお世話になっているテクノポップユニット三鷹が作ってくれたエスカレーターのテーマ曲、『エスカレーター・ディスコ』をのせる。「映像と音がちぐはぐなあの感じ」をだしたくて、最後まで、音楽と動画は秒数以外一切あわせなかった。エスカレーターの動画こそ死ぬほど持っているのに一切使わなかったことをほめてほしい。
はたして、カラオケビデオっぽく、見えるのだろうか。
結論から、正直に言おう。 これはちがう。なにかちがうぞ。
シナリオと言っていいシナリオが皆無であることとか、登場人物が自分しかいないこととか、映像加工技術の稚拙さとか、はさておいて(そんなにたくさん根本的な問題をさておくのもどうかとは思うが)、これは、あのカラオケビデオの中に描かれていた、「あの頃、私が思い描いていたトーキョー」じゃない。「私のよく知っている、私の大好きなトーキョー」だ。 自分が撮ってきた映像だから当たり前ではあるのだが。
あの頃思い描いたトーキョーは、どこへ消えたのか
「90年代のあのトレンディなカラオケビデオの風景を探す旅」は、おもしろかった。むしろ、のりのりで素材を撮りに行っていたのだ。がしかし、つなげて並べてみてみると、そこに映っているのはまぎれもなく21世紀のトーキョーだった。 などと書くと格好いいようだが、「あの頃思い描いたトーキョーはどこへ」問題については、今後も追ってみたいと思っている。