第4の「思い出の気になる道」(まだやるぜ!)
どんでんがえしの説明として、もうひとつ、いやもう2つきになる道の謎解明をお伝えしたい。
ていうか、だれかここまで読んでくれてるのかな。
千葉大学の裏、在籍学生でもあまり足を運ばないところに、見るからに不自然な道がある。だ円なのだ。しかも道幅もなんかへん。1車線にしては広いけど、2車線にしては狭い。
これも学生の頃、ぼんやりと「へんだなー」と思っていた。なんで学生があまり行かないここへ行ったことがあったかというとだな、冒頭のセリフを言った女性が…って、いいや、もう。
さて、なんなのだろうこの道は。
みなさんに強くお勧めしたいのは、さんざんご紹介している「国土変遷アーカイブ」と地形図のほかにもう一つ、テキサス州立大学のアーカイブだ。
ここには、米軍が戦後すぐに測量した日本の都市の地図が置かれている。なんでテキサスなのかよくわからないけど。困ったときはテキサスだ!
そうなのだ。これ、線路の跡なのだ。
しかもよく見ると、千葉大学のまわり、元軍事施設だらけ!そりゃあ米軍も一生懸命航空写真やら測量やらするわけだ
そう思って見ていくと、またまたびっくりが。
なんと、射撃場跡が住宅に。
射撃場って、まわりに弾が飛んでいかないように掘ったり、もともとの窪地を利用したりする。ここだけじゃなくて、日本に何カ所もある。都内で有名なところでは、大森にある元射撃場。ここも面白いほど窪んでいて、なんといまはテニスクラブになっている。弾が球になったわけだ。
で、「轟町」の謎!
前出の水の音を由来としていると思われた、「轟町」。なんと調べたら、こんないわれがあったのだ!
■轟町 とどろきちょう 古くは穴川野と呼ばれた入会地。明治42年に地内に陸軍兵器補給廠設置後軍用地となり、軍靴の音も賑やかで大砲の音も轟いていたことにちなむ(昭和11年制定)。
(「難読地名・珍しい地名の由来」より。元文献未詳)
ほかの街でもやってみようと思う
センチメンタル・ジャーニーのはずが、とんだ謎解きになってしまった。センチメンタル・ジャーニー?
これは千葉大周辺に限った話ではない。日本中こんな謎はたくさんある。シリーズ化してみようかな。
最後まで解けなかったいちばんの謎は、千葉大のグリッドがおかしいこと。上の地図見れば分かるように、軍需部門時代はまわりとあってたんだけど、大学になったとたんこんな。だれかなぜか知っている人がいたら、教えてください。気になる。【大きな地図で表示】