まとめ
明治10年に来日したモース博士。汽車で横浜から東京へ移動中に通りかかった大森のあたりで貝塚を発見。当時それは考古学上、画期的なものだったらしいのです。
ただ、モース博士は生物学者であって、考古学者じゃない。発掘時にきちんと場所を測量しなかったので、後にどこが本当の発掘場所かわからなくなってしまったとのこと。昭和4年に「大森貝塚」が、その翌年に「大森貝墟」が建立され、発掘に立ち会った人の間で50年に以上に及ぶ論争が勃発。それで記念碑が2つできちゃったのでした。現在は一応、どちらも国の史跡として認定されています。
しかも大田区民としては悲しいことに、当時の資料に記載された「大森村」というのはどうやら勘違いで、品川区にあるほうが本当の発掘場所なのでした、という悲しいオチつき。別にメジャーになってとは言わないけれど、ああ、またこうやって大森はマイナーとして埋もれていってしまう。ならばいっそ、「大井貝塚」に名称も変えて大森をそっとしておいて欲しい、などと卑屈に思うのでした。
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こちらが発見者のモース博士。アナタがしっかり測量さえしておけばこんなことにならなかったのに。 |
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