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今にもいってしまいそうギリギリ感 |
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●無理を承知で重ねてみる
合理的な一面もある重ね行為だが、よく考えずに行うと危険さにつながることもある。写真の例、もう限界とも言える斜めっぷり。よく持ちこたえているものだと感心している場合ではない。なにか手を打たないと大変なことになる。
別に必要もないスリルがあふれる光景。目的はともかく、人は度胸だめしとしてものを重ねることもあるのだろう。愚かだと言ってしまうのはたやすいが、それが重ねることの魔力でもある。
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崖の脇に石を積み、さらに石材を重ねて補強している例。よく見ると、手前にはちきれそうになっているのがわかるだろうか。 |
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実際、ついに崩れてしまっている部分もあった。大いなる力を発揮する重ね行為だが、もちろん限界というものはある。 |
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はじめから重ねることをあきらめている場合もある。重ねないことの混沌。こういう例を見ることで、改めて重ねるよさを感じることができる。 |
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あえて整然と重ねないという場合もある。写真のテトラポッドの場合も、無造作な重ね方ゆえの迫力がかもし出されている。 |
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●積み重なりが心に落とす影
右の写真、よくある廃車置場の光景だ。確かに重なっているとは言える。悲哀や憂いといった廃車本来のたたずまいが、乱雑に重ねられることで増幅されている。だがしかし、看板にあるように、この道が通学路になっているというのはどうなのだろう。
どちらかと言うと大人向きのこの事例。こんな重ねっぷりを毎日目にしながら学校に行く子供たちの気持ちはどんなだろう。
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子供たちが学校に行く道すがらの光景 |
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