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土曜ワイド工場

 
高架下の風景を鑑賞する

■俎橋(まないたばし)

九段下の交差点のすぐそばの俎橋。左にちょっと行くと武道館。
急に大きな橋に出る。九段下の交差点だ。クルマに乗らないのでよく分からなかったが、こういう風に道がつながっていたのか、とびっくりする。もともとは粗末な板が無造作に渡されていただけの橋だったためにその名前が付いたらしい。しかし今はとても交通量の多い大きな橋だ。

しかし、橋の重要性と高架下風景とは関係がない。高架下に貴賤なし、だ。ここからの高架下風景はどうだろうか。

左側に建物が迫っていて圧迫感がある。すてきだ。(クリックすると大きな画像が見られます)
ここらへんはお堀の川幅が狭いので風景のダイナミックさに欠けるのだが、狭さを活かした閉鎖的な空間造形がグッとくる。左側迫っている建物が圧迫感を演出。右側から差し込む光もなんだか素敵だ。やるな、まないた。あと関係ないけど子どもの頃「まないた」をよく「なまいた」って間違って言ってた。今思うとちょっとやばい。

■南堀留橋

これまた地味な橋。橋桁の形がちょっとかわいい。
俎橋のすぐとなりにあるのが南掘留橋。どうも大きな橋と地味な橋が交互にやってくるのがお堀の特徴のような気がしてきた。

ここもまた首都高の出入り口が近いため、高架の高さが低い。一石橋や神田橋のところで見たように、出入り口そのものの高架下は風景としては今ひとつだが、その寸前のあたりは圧迫感があって良い高架下造形が期待できる。


期待通りのなかなかすてきな高架下風景。出入り口に向かって下がっていく首都高の造形にグッとくる。(クリックすると大きな画像が見られます)



さあ、次は問題の首都高出入り口だ。期待しないで行ってみよう。

■掘留橋

かつてお堀はここで終わっていた。ので、「掘留橋」。
明治36年までは外堀は今のようにずっとつながってはいなくて、ここで終わっていたらしい。なので、この橋の名前は「掘留橋」。橋は人にいろいろな歴史を語らせるようだが、ほんとはそんなエピソードはどうでもよくて、とにかく高架下だ。


思ったよりずっと良い高架下風景。みくびっていた。すまん。(クリックすると大きな画像が見られます)


首都高出入り口ということであまり期待していなかったのだが、どうしてなかなか素敵な空間造形。みくびっていたようだ。すまん。今後はもっと虚心坦懐に高架下鑑賞に臨みたいと思う。人生反省の連続だな。

■このあとは一気に紹介

そろそろ紙面もつきてきたことだし、読者の皆さんもいい加減飽きてきたことだと思う。というか、だれかついてきていますか?

終着点江戸川橋までは道半ばなのだが、実を言うと、この後は高架の高さが高くなり、高架下鑑賞としてはいまひとつの風景が続くのだ。こんな感じで。


掘留橋のとなりの新川橋から見た高架下。首都高が徐々に高度を上げている




中央線水道橋のすぐ西の新三崎橋から見た高架下。まわりも開放的になってきて、閉塞感が無くいまいち。(でもクリックすると大きな画像が見られます)




首都高はJRをまたいで飯田橋の方へ。



飯田橋駅前。お堀と首都高と歩道橋のコラボレーション
飯田橋のあたりでふたたび首都高が高度を下げたのでしめた、と思った。たしかにいっときなかなかの風景が続くのだが…


歩道橋からの眺め。また見応えのある高架下風景が展開するか、とおもいきや…




こんなになっちゃう。お堀と首都高のつかず離れずの関係。そんな関係嫌だ。


ついに首都高が川の上から離れ始める。こんなのはもはや「高架下風景」とは言えない。いや、高架下ではあるんだけど。

ふつう、後半に向けて盛り上がるところだが、この後江戸川橋まではずっとこんな感じ。なんとも尻つぼみではあるが、結論としてはお堀の上の高架下風景鑑賞は、その名の通り「掘留橋」まで、ということにしたい。


終点、江戸川橋。ここからほどなくして首都高は川の上から離れ独自の道を歩み始める。


冒頭に触れた、ぼくがよく遊んでいた高架下。立ち入り禁止になっていた。
 
今回はいつにもまして読者置いてけぼりのテーマとなってしまったが、ぼくは満足だ。ひとりぐらい「わたしも高架下の風景が気になっていた」という人がいることを切に願う。あまりに評判が悪かったら次回からは無難に「下町旨いもの食べある記」とかにしようかと思う。


 

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