木のゴミもやはりいいものなのか
次は木のゴミである。
ここは神奈川県藤沢市の住宅街にある臼の製作工房、柴一臼屋。柴一臼屋のホームページには臼をモチーフにした「うすマン」というなぞのキャラクターが出てきたりするのでぜひ一度見てもらいたい。
臼職人が削ったゴミはいいゴミか
実はこの工房、前にいちど取材させてもらったことがあるのだが、まだ記事にはしていない。なぜなら臼は秋からしか作らないから、と言われたから。せっかならば作ってるところを見たかったのだ。
僕が以前インタビューさせてもらった時はようやく原木を買ってきた段階だった。それから半年かけて木を乾かして、ようやく彫るのが10月なのだとか。長い取材になりそうである。
その間、顔を忘れられないよう、今回ゴミをもらいに行ってきた。そのゴミがこちら。
先ほどの写真にあった「ちょうな」という道具を使って削ったゴミ。
臼の表面はチェーンソーなんかで加工してしまうこともあるが、そうするとゴミはほとんど粉しか出ない。職人が手で「ちょうな」を振ることで、こんなふうにくるんと丸まった特徴的なゴミが出るのだ。
臼職人は臼を手彫りするために大小さまざまな道具を使うのだが、最近では機械で作ってしまう工房も多いのだとか。
「手彫りで臼をやってるのはうちを含めてあと数軒なんじゃないかな」と。つまりこのちょうなで削ったゴミは今ではかなり貴重なのだ。いいゴミ度が上がる。
臼職人柴田さんは「臼は後継者がいないから」とも言っていた。ネジと同じである。今なら望めば臼職人にも(ただし見習い)ネジ職人にも(ただし見習い)なれるかもしれないぞ。
いいゴミの話をすると、柴田さんはある石を見せてくれた。
「いいゴミ」もとい「いい石」
この石、なんと一個一万円するのだとか。意味がわからないだろう。
「これは砥石なんですよ。職人が集まるとさ、砥石を自慢するわけ。いいやつは10万円とかするから」
砥石には道具の刃があてられるため、その表面はつるつるになっていた。まさしくいいゴミである。いや、ゴミじゃない、石だ。道具を磨く大切な道具だ。
さらに工房の中で出るゴミも見せてもらった。ここでは主に杵(きね)を作っている。
柴田さんは杵を角材から手で丸く削り出す。その時使うのがこのカンナである。
出ました、いいカンナゴミ
柴田さんがカンナを引くと、面白いようにしゅるしゅると削り屑が出てくる。それと一緒にケヤキ独特の香りがあたりに漂い、角材の角が取れていく。
出たてのゴミを手に取ると、なんとなく湿度というか温度みたいなものを感じた。鮮度とでもいうのか。
「ケヤキはね、カンナで削ると艶が出るんですよ」と、柴田さん。
確かに職人柴田さんに削られたケヤキはしっとりとした風合いを見せていた。比べたわけじゃないのだけれど、たぶん機械ではこうはいかないんだろう。
臼を買うチャンスは今のところないが、買うときにはやっぱり職人の削ったものがいいな、と思う。
集めたくなるゴミたち
その他にも柴田さんがノミで削ったゴミも各種見せてもらった。
言ってしまえばただの木片であるが、そこに残る刃の跡はゴミとは言えない迫力を秘めていた。
こうして小分けにするとますます「いいもの」に見えてくるから不思議だ。もうしばらく眺めてから捨てたいと思う。
「いいゴミ」というのは子どもだけに見えるわけではなく、世の中に確実に存在するのだ。いろいろ事情を知った今なら、さらにその幅は広がるんじゃないか。
「ゴミ」と「いいゴミ」との違いは飾っておけるかどうかだと思う。眺めてにやにやできるのは間違いなく「いいゴミ」なのだ。