切り抜く
僕のデジカメのメモリには、ふだんから自分の写真が多く記録されている。 これは仕事柄しかたがないことだ。 もし万一事故などにあったとき、デジカメの中身を見られたら恥ずかしいなとは思っていたが、今回の記事のために撮影した写真はこれまでで最高に恥ずかしい。 遺品として親が見たら、説明のしようがないので、この記事がアップされるまでは死ねない。 というようなことを考えながら、自分の顔を切り抜いた。
熱を加える
自分の顔写真を、Tシャツに転写した人は世の中にどれくらいいるだろう。 自分の顔写真を転写するために、ユニクロに買い物に行った人はどれくらいいるだろう。 自分の顔写真に、うまく転写されたかなと心配しながら熱を加える人はどれくらいいるだろう。 というような事を考えるのはよそうと思いながらアイロンで熱を加えた。
転写した
みなさんもやってみてください。 この記事を書いていていちばん思う言葉だ。 いや、みなさんはやらないか。 この恥ずかしさをみなさんと共有したい。 恥ずかしがりやの出たがりやという困った性分の僕とは35年の長い付き合いだが、これまでこの矛盾を自分の中でうまく処理してきた(つもりだ)。 しかし、今回ばかりはそれができていない。 「俺、なにやってんだ」 大きな罪を犯しつつある人が感じているようなことを感じながら、ユニクロの赤いTシャツは僕の顔を転写された用紙を受け入れた。
着てみた
という感じで、自分を受け入れられないままオレ・ゲバラのTシャツは完成した。 アイロンプリント用紙の透明な余白が気になる。 いや、気にすべきはそういうところじゃなくて、自分の顔が、しかも革命家気取りの自分の写真がプリントされたTシャツを着ている自分がいる、という現状だろうか。 その現状を打破するのも革命家の仕事だ。
革命家、庶民の生活を視察
オレ・ゲバラのTシャツを着た僕は、そういった意味においてはすでに革命家だ。 革命家としては、市井の暮らしに身をおかなければならない。 ゲバラがそうしていたように。
笑われていやしないだろうか
町を視察する際、編集部の安藤さんに撮影をお願いした。 革命軍の記録班だ。 その記録班が、「あの人笑ってますよ」という。 そりゃそうだろう、僕はみんなの暮らしをより豊かにする革命家なのだから、笑顔を持って受け入れられるのも当然だ。 などという、自分を納得させるいい訳を考えていたが、それがむなしいほどに撮影された写真に写っている人たちは僕を見ている。 そして笑ってる。